コラム 雑穀の残る暮らし

2月16日に西荻窪のかがやき亭でお話しさせて戴いた「武蔵野うどんをとおして考える農と食卓」に資料を提供して下さったフィールド・ワーカー(民族植物学・人々と植物の関わり)、川上香さんの「雑穀の残る暮らし」というイベントに行ってきました。

東中野から徒歩5分程。Soleil(ソレイユ)というフレンチのお店で、雑穀を使ったランチを戴きながらお話を伺いました。

長野県遠山郷(旧上村、旧南信濃村)、静岡県静岡市葵区井川(旧井川村、旧田代村)、山梨県早川町を中心とした雑穀の残る暮らしです。昔、我が家でも雑穀を栽培。両親は「こどもの頃、雑穀の入った弁当を持って学校に行くと、もう周りは白米で恥ずかしい思いをした」と言います。第二次世界大戦中から戦後間もなくまで食べていた雑穀飯はおおよそ大麦とモロコシの入ったものだったそうです。
武蔵野うどんの際に昔の食事を聞き取りました。

武蔵野台地は河川周辺などの一部を除いて稲作に適さず、穀物は麦を栽培していました。物日(行事のある日)にはうどんを打って食べる習慣がありましたが、粉を挽いてうどんを作るには時間と手間がかかります。ですので日常は雑穀飯を食べていました。雑穀はコメや麦と違い、穂のままで保存すると何十年でも持つと川上さんは言います。麦も採れない天候不良の時には命綱だったはずです。

いまは健康にもよいと人気の雑穀。ランチもとても美味くいただきました。「モロコシの餅なんて冷めたらとてもじゃないが不味くて食べられない」。父世代には貧乏のイメージで語られます。平地で農業をする者にはまねの出来ない自然と向きあうその暮らしに、生きることの厳しさとタフさ、そして精神の強さを感じました。

川上さんのブログ
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