この季節、産卵箱を転がってくる生みたての卵は “ほわ〜ん’’ と一瞬湯気に包まれます。
東京でも朝は零度を切る時があり、寒さの中、一瞬の光景にほんわかした気分になります。卵を包むクチクラの層が乾くまでのほんの5…10秒。
給餌の後の、観察の時間…
大人になりかけの若鶏が給水器をブランコにして遊ぶのんびりとした光景。来年は更に一歩前に進もう、と平和の幸せを噛み締めて思います。
ー 中央線・西荻窪駅 徒歩12分。レモン、ライム、ヘーゼルナッツに転作中。ネットで販売致します。
この季節、産卵箱を転がってくる生みたての卵は “ほわ〜ん’’ と一瞬湯気に包まれます。
東京でも朝は零度を切る時があり、寒さの中、一瞬の光景にほんわかした気分になります。卵を包むクチクラの層が乾くまでのほんの5…10秒。
給餌の後の、観察の時間…
大人になりかけの若鶏が給水器をブランコにして遊ぶのんびりとした光景。来年は更に一歩前に進もう、と平和の幸せを噛み締めて思います。
いそがしさを理由にパソコンに向って言葉を推敲することから逃げて、ずっと更新を怠っていました。まめにブログを真面目に書くことは結構大変なことではありませんか?パソコンに向かう頃には感動は逃げてしまうのです。
スマートフォンにはできるかぎり替えないと決めていたのに朝起きたら突然、携帯電話が壊れており、あっさり誘惑に負けてしまいました。 経済観念からすれば、さまざまな利点を考えても(今の私には)贅沢感はいなめません。だからこそ文明の利器にコントロールされることなく意義ある使い方はなにか模索中です。もしかしたらパソコンより、思いついた時に文章を書くよい道具かもしれないと気付き、暫くぶりにブログ更新します。
この頃つくづく思うことは、20年近く養鶏をやってきても、気づかなかったことが沢山あるということです。なぜこんなことに気づかなかったのだろう?今年はよくそう思います。思い込みの怖さと意識次第なのかもしれません。
秋雛がやって来て16日。雛は初生(生まれて1日のまだお腹に黄身が栄養として残っている状態)から育てます。本来、親鳥の羽の下で守られるはずが、いません。孵卵場から連れて来て初めて目をあわせると、最初は親代わりくらいには感じてくれるようです。ですが親鳥とは違い、ずっと一緒にいてあげられるわけではないので次第に独立心旺盛になっていきます。寂しいとともに少し可哀想にも感じます。
育雛(雛を育てること)は最初の1週間に事故が起こりやすく、年に2回(2013年9月時点、現在は年3回)の育雛は一つの山場です。試行錯誤を繰り返し考えたのですが、そこは贅沢に床暖房の上で育てます。小羽数なので現段階では専用施設を作るほうが割高なのです。
そして天気を見て10日目。次の難関。外の空気に触れさせます。前回、春の育雛でこの時事故が起こりました。風上の成鶏の鶏舎からの埃が原因か、もしくは育雛に使った敷料になんらかの菌があったかもしれません。失敗を反省に風上からの埃と蚊よけをします。ずっと以前、目を蚊にさされて失明したこともあったからです。ただし囲い過ぎても蒸れたり、空気の流通が悪くなってしまいます。9月の育雛は台風と秋雨にも注意が必要です。
外に出ると寝る場所はヒヨコ電球の点いたダンボールの中です。最初の2,3日、夕方暗くなりかけにダンボールに入れてあげれば自然に寝場所を覚えます。なのに3日経っても入りません。入り口をわかりやすい方向に向けなかったのがいけなかったのか?今年の雛は賢くないのか?と考えていました。
ところが寒気の来た夕方、いつになくぴーぴー鳴きながら、自分達でダンボールに入って行きました。何回教えても覚えないのに呆れて、昨日から勝手にさせていたのです。雛は廃温(一ヶ月経って体温維持ができるようになり、保温が不要になること)まで暖めますが、自分で選べるようにしておくとよほど寒くない限り、昼間は外に居て、夜も寒くなければ勝手に出てきてしまいます。寒そうにしていれば危険ですが、人間のコントロールは適度に。本来の能力をひきだすこと、そう感じる毎日です。
春雛を買いに草加へ行ってきました。後藤孵卵場関東営業所です。
「杉並でしょ。オス大丈夫?」
電話で何回かお声を伺っているけれど、以前、お世話になっていた方とは違う男性(社長さん?社員さん?)が心配そうに聞いて来た。正確正直な答えは何かなあ、と頭をめぐらしつつ、「昔、放し飼いにしていたときには隠れて雛を孵してしまってオスが沢山生れ、ご近所からクレームを戴いたことはあります」(確か十数年前)「ただ最近はそういうお話はないです。それにオスがいるとメスが落ち着くような気がするので」と言うと、間髪居れずに「そうなんだよね~!!」。
「あ・・~~よかった!やっぱりそうなんだ。なんとなく感じていたことは確かだったんだ」。鶏の世界も人間に負けず劣らず、いろいろな感情が渦巻いているように見える。動物的(当たり前だけれど)で直情的な分、しっとや欲求不満も激しい。だから安心していられる環境だとメスの落ち着き方が全然違う。反対は悲惨だし、オスの鳴き声より、メスが騒いだ時のほうがとんでもなく ” うるさい !!! ” のだ。
イメージとは違って、鶏が落ち着いて暮らすには平飼いしているだけではだめで餌に満足して、水が適切で、環境に満足して外敵がおらず、健康で愛があってハッピーでいる!なかなか難しい。時々人間のほうがグロッキーするときがある。
以前、メスは廃鶏にしても、慣れたオスをずっと置いていた。その方がオス同士競り合って鳴く場合、既に分かり合った相手だから騒がしさが少しはちがうだろうと思っていた。でも誤算有り。メスは若くて花盛り、オスは・・かなりお疲れのご様子。の、結果。メスのストレス指数が上昇してオスは可哀想にぼろぼろに。わかりました。やっぱり雌雄は生涯を共にしなきゃなのです。愛情だって結構深い。
もう鶏飼いをして20年近く経つのに、鶏を日々観察しながらも作業的にこなしていた部分が、近頃は瞬間瞬間に動物の「心」に触れてしまってめまいすら感じます。でもそれが真実の姿なのだから、それなりの心があるということを知ってしまった以上、知らないことにも当然できません。
東日本大震災の後、ニワトリ達は怖がって荒れてなかなか元に戻りませんでした。私は鶏舎にいなかったから、その時どうだったのかはわからないけれども、パイプハウスの鶏舎の中仕切りの扉が開いてしまっていたから、ガシャガシャと大きな音を立ててぶつかったりしたのではないかと思います。小さな足で揺れる地面をどんな風に感じたのだろう。とにかくまた雛たちが少しでも幸せでいてくれるよう今年もがんばろう!そう思って春の育雛スタートします。
東日本大震災により被災されました方々に深くお悔み申し上げます。
あの日から心の中でいろいろな事が変わりました。
まだまだ整理はつきませんが、もし農業ができなくなったら…積み重ねて来たもの、受け継がれてきたものへの想い、目の前の鶏たち、くらくらするような衝撃でした。とても言葉に出来ない何か。
就農した頃は、農業を続けることに四苦八苦してやめたい、やめられないと悩んだこともありました。なのに喪失感のほうが大きいようです。鳥インフルエンザに地震、原発事故と大変な年です。それでも出来る限り頑張りたいと思います。
地震で鶏たちも大変でした。やっと少し落ち着いてきたようです。やっぱり怖かったんでしょう。
今週の直売所は
菜の花、九条ねぎ、人参(売切次第)、夏みかん、卵、東京烏骨鶏卵
などです。
今日は懸案事項だった鶏小屋の掃除をしました。なぜ中々腰があがらなかったのかというと、これがとても重労働だからです。年に約2回程度ということもあり、取りかかるまでになんとなく時間がかかってしまいます。他の仕事も忙しくなり。ということで今回は思い切って友人に声をかけてしまいました。
彼女はほぼ同年代ですが、農業に興味を持っています。
脱サラしたら「鶏を飼うことになるかもしれないから・・・」と言いつつ、手伝いをお願いしました。循環農業に鶏は大切なパートナー。でも今日仕事を終えてつくづく感じたことは、40代に突入して体力が落ちてきたということ。以前は1日で凡そ2区画半を仕上げたのに、二人でやっと2区画の掃除と土入れまででした。彼女も終わって「山登りをしたような感じ」という感想。やることはほとんど土方仕事のようなものです。
1区画17㎡ほどが4区画で一つの鶏舎。すべて土間に平飼いです。以前書いたとおもいますが、土の上に木の枝のチップを敷き詰めています。それが鶏糞と混ざり、すっかりカタチがなくなります。それを運び出してさらに外でチップと混ぜ、堆肥化します。その運び出しが半年に一度、廃鶏に出してから、新しい雛が45日齢になるまでの間にします。お天気もうす曇で風のないときが最適です。砂状になった堆積物を鍬やスコップやレーキなどを使って運び出し、山積みにします。鶏舎の中には重機が入れられないからです。その後に出してしまった分の土を補充。これは乾燥していないのでかなり重く、疲れた体に追い討ちをかけます。
お茶を飲むために一休み。初めての経験だった友人が私の顔を見て笑い出し「そのままドン・ジョバンニの舞台に出れるよ ! と大笑い。そういう彼女の顔も同様なのでした。
それにしてもこの作業があと20年後に出来るものだろうかと、さすがに不安。1人で出来ないというより、1人だと気が滅入る作業だからです。歌を唄いながら共同で野良仕事をしたという昔が良くわかります。鶏糞だらけになって大変なので、サポーターを探すのにも気が引けてしまいます。年に2回のこのときが特に頭痛の種。
そのときどうしよう?
去年の11月、杉並区農業委員会より品評会に出した東京烏骨鶏のたまごで表彰状を頂きました。気がつくと鳥飼いも15年。何とか一人前になりつつあるかなというところで、嬉しい出来事でした。有難うございました。先日は自然卵ネットワークの『自然卵通信』にも寄稿させていただきました。
めげることもありますが、とにかく地道にがんばります。
鶏舎の写真を見ていただくと分かると思います。鶏が歩き回る地面は土間、剪定チップをひいた土のままです。鶏舎は単価の安い卵のことを考えて、できる限りローコストで作ります。そして作りやすく。でもやはり5年も経つと、あちこちの修理もより大掛かりなものが必要になってきます。
ここのところ、毎朝鶏舎に行くたびに様子が変わっているのです。餌を上げたり、卵を拾ったりするための管理用通路に時には一羽、時には2羽、そしてあるときは・・・。烏骨鶏のメスのお行儀の悪いのが行ったり来たりを覚えてしまい。人の顔色を見てはやっています。捕まえようとするとギャーギャー言うので知らん振りをしていると、平気の平左。まったく子供がいたずらをするのとそっくりではないかなあ?
あーあ。
7月23日 午後4時35分 頃
びっくりしました!久々に突然の大きな地震でした。
偶然、私は鶏舎の目の前にいて最初の数秒の後、ずさささ・・・鶏たちがにわかに後ずさり!!! な、ナンダ、ナンダ???
今回の地震は立っていても分かるような揺れ、不思議なのは家の中は全くそのままだったこと。無事でよかったですが、鶏たちのあんな反応を初めて見ました。でもさすが?うちのにわとりたち、予兆も何にも無く、全く鳴かず。う~ん、肝が大きいのかそれとも??
100羽弱しかいない小さな養鶏なので、卵は毎日1個ずつ手で磨いて箱詰めします。”卵磨き” なんとなくこの言葉が定着してしまったのだけれど、作業としては布で砂ホコリを落とす、そしてときどきこびりついた汚れがあったときは軽くサンドペーパーでこすります。あまりきつく磨きすぎてもいけなくて、卵表面のクチクラ層という保護膜を出来るだけ落とさないようにします。
黙々と “無心”になって磨く。
30分から40分くらいはかかっているように思いますが、次第に瞑想をしているような不思議な感覚になっていきます。
「がしゃっ 」ヒビが入っていた卵が割れると一瞬、ショックでぼーっとします。
11月に法政大学の社会学ゼミの学生さんが、この卵磨きを体験しました。「がしゃっ 」!!! 彼はその時のショックを暫く忘れないと思います。
何故これ程ショックに感じるのでしょう?
大事な卵と思って磨くから?無心になっているから?小さな宇宙が壊れてしまったような・・・なんだかそんな気がするのかもしれません。
手の中で卵を割ってしまったので、こんな話を書いてみました。
9月17日、秋の雛がやってきました。かわいくて、かわいくて、家族もみな顔のほころぶ1日です。
久々の鶏日記。81日齢です。
これから成鶏になるまで、ひよこの頃の劇的な変化に比べると余り変わりがない。外見は。ただサイズが変わっただけにしか見えない。大きさの割に体重はまだまだ。勿論微妙な変化はある。尾羽もすっかり生えて大人の羽のパーツは揃っている。まだ卵を産み始める前の輝くばかりの美しさはないけれど。
「私、美人になるんだから!」。この表情、少しだけおすまししている。”わたしどう?”って。
こちらは『動物のお医者さん』のチョビの顔みたいだけど、これはぼーっとしている。
鶏に心?と思うかもしれない。でもずっと見ていると成長とともに学び、そうして変化していくのがよく分かる。無邪気に遊ぶことが楽しかった頃から、集団の中で関係を学び、恋をする。一段一段、成鶏への階段を昇っていく。
今の緑餌はキャベツです。虫がついちゃったの丸ごといただいてます。