1年を振り返って

 間もなく2019年が終わろうとしています。病院で迎える新年は生涯初めてで、できれば最後であって欲しいと強く思いながら過ごしています。12月中旬頃から末迄は病気に対して前向きに向き合ってきた私にも精神的に明るくはいられない日々を過ごしました。注意していたのに肺炎を併発し、又意識を失って顔面から床に倒れるという経験をしました。

 その傷や腫れは随分よくなりました。免疫力が無いと様々な病気に罹ったり、血小板が少なくて出血が止まらなかったりアザができたりするのを身を以て体験すると、「生きているから傷が治っていく」という当たり前の事さえ感動的に思えます。

 大病を経験した事がなかったのに、突然、遺伝でも生活習慣病でもない「死」と切り離せない急性骨髄性白血病という病になりました。治療をすれば必ず助かるというものでもなく3、40年前までは激烈な不治の病だったと知って、そういう事実を受け止めながらも尚、生きる為に努めている日々に理屈など無い気がします。

 大怪我を克服した鶏たちの姿に多くを学んで、それが心の支えになりました。鶏は餌が足りない等のストレスを受けると仲間の中で「突き」という行動が起こってしまいます。鶏の社会は序列があるので、集団にとって充分な量が確保できないと分け合うのではなく、強い鶏から生き残る為に食べて弱いものを排除しようとするのだと思います。必要な餌の量が常に一定であれば難しさはないのですがそうではありません。平和で幸せなイメージそのものの平飼いを継続するには、日々鶏たちを観察して適切できめ細かな管理が欠かせないのです。
 さて虐められた鶏は集団の中で弱者なのですが、それでも虐められて落ち込んでしまったものは僅かの傷でも死んでしまいます。ところが大怪我をしていても隔離すると怪我には全く頓着せずに「ご飯が食べたいたべたい」など健康的な欲望を発揮する鶏がいて、彼らは驚くべき快復ぶりをみせたりします。気持ちというのがどれだけ大切なのか、鶏たちは教えてくれました。だからいまは治療の結果を考えません。

 4月に見沼田圃を歩き、恐らく6月頃には発病していたのでしょう。9月5日に入院。地固療法2回目の終盤で病院で歳を越します。恐らく2月の中旬頃まで地固療法の3回目(最終回)を過ごします。

 皆様には1年間、大変お世話になりました。正直、この4ヶ月程は今後の人生について随分考え悩みました。これまでに無い体験をし気付く事も沢山ありました。それでも前を向いて歩いていきます。
 どうぞよいお歳を迎えください。

コラム 見沼たんぼを歩いて

 鶏達と暮らし自然と関わりながらも、この頃は白梅のつぼみと萼の高貴な色合わせを愉しむ余裕もなく過ごしています。見沼の畑で焼けた肌に見事な動きで農作業に勤しむ姿に、あれほどプロフェッショナルな仕事が出来ているだろうかと、今日一日離れているのが恥ずかしくなりました。4月の頃はあめ色に透ける若葉に、香り立つ土の匂い、それらが雨と共にやってきます。
 
 日常を離れると視界がひろがって心が洗われ、細やかな気づきや自由な心の動きが生まれます。そんなひと時、大空の上から見下ろすイメージを想像したり、空気の微かなかおりを愉しんだりします。
 無理なく距離を歩く「すいすいウォーキング研究会』に参加させて頂いて、お台場とレインボーブリッジに続く「見沼代用水 名残桜20kmコース」を無事に歩く事が出来ました。戸外を歩く事を失念していた顔は、帽子を被っても反省会の会場に着く頃には真っ赤に日焼けしていました。
 
 すいすい法をマスターするのは難しく、イメージしながらも上手くいったかはわかりません。前回は11kmで脚が痛くなりリタイア。今回は平田さまとご一緒させて頂いたので、お喋りに花が咲き過ぎ、「前にもう少し早く歩くように言おう」という言葉にハッとする場面も。途中リタイアできそうもないルートが幸いしたのか、長距離を歩く事に慣れていらっしゃる平田さまとの並歩が幸いしたのか歩き通すことが出来ました。
 
 集合場所のさいたま新都心駅は、新宿から約30分。広々として現代的な駅舎に東京都心と変わらぬビル群。スターバックス。アート。現代の典型的な街から、見沼たんぼ地区にはいると風景が一変します。
「田んぼ」を期待すると目に飛び込んで来るのは、畑、家庭菜園、造成地。眺めながら、田んぼの痕跡を探します。武蔵野台地は「武蔵野うどん」に代表されるように、昔から水稲ができず、小麦が栽培されていました。武蔵野うどんと名づけられたのは後の事で、武蔵村山だけでなく、小麦しか採れない関東一帯ではうどんが晴れの食事でした。ですので農村では、うどんが打てなければ嫁に行けませんでした。小麦を石臼で轢くところから始まり、とても手間のかかる仕事です。
 
 武家や町衆の食糧として、江戸の町の周辺で米を作る必要があったことは想像に難くありません。江戸の民が白米を好んで脚気になった話などから推察すると、米はまず不足しなかったように思われます。見沼を江戸幕府が田圃に開拓したのは、そのような歴史風土を背景とするものでしょう。
 水稲の栽培が身近でなかったので、田圃と水を引く仕組みは驚くべき知恵と努力の結晶に感じられます。でも田圃は努力だけではできないようです。土地には建物が建ってしまうとわかりにくくなってしまいますが、平らな土地というものはありません。最近はGoogle マップの航空写真でも地形を推測することができますが、国土地理院の「地理空間情報ライブラリー」では撮影年代別の航空写真や古地図などが検索できるようになっており、地形や時代変化を見ることができ楽しいものです。さいたま市作成の「見沼たんぼホームページ」 (http://www.minumatanbo-saitama.jp/agriculture.htm) では詳しい情報が掲載されていますが、古代東京湾の入江だったのが隆起して沼が点在した地域。水利があり周囲より低い土地を田圃に利用しているのです。それでも水路を引き、充分な水が行き渡るようにする迄にはどれだの苦労があったのか計り知れません。田圃より一段高いところに土手を築き、用水が流れていることに驚きます。そしてその美しかった景色が畑に変わったのはお米を食べなくなった私達、都市住民の事情なのだという事にじくちたる思いです。農業や自営業の気持ちで先人の苦労を推し量ってしまうと、遣る瀬ない気持ちになる事があるのです。美しい自然の風景が田圃に変わった歴史を想うとしかたなくも、いま見沼が保全地域として認識されていることにホッとします。
 
 東日本大震災を経、近年の多くの災害を教訓として、また持続可能で人口減少社会の豊かな都市環境とは何かに行政も目を向けるようになりました。見沼たんぼ地区も「長い間、水田として維持されてきた見沼たんぼですが、1950年代に入り、高度経済成長期をむかえると、東京都市圏の拡大に合わせて開発の圧力が高くなり、一部で住宅建設や学校・道路など公共施設への土地利用の転換が行われるようになりました」(見沼たんぼホームページ)と開発の危機に晒されたと書かれています。『農地は誰のものか?』というNHK特集番組が作られるほど、都市に住居を求める人々との軋轢が高まった時代です。
 何かを破壊してしまうのは簡単ですが、見沼を開拓し、管理維持するのは大変な労苦だったろうと思います。自然環境は複雑な調和を保っており、だからこそ人もそこで暮らしていけるという事に気づき、やっと一歩を踏み出した、今はそんな時代ではないでしょうか。明るい光の下、環境整備に努める生徒や先生。手入れされた竹林。見沼たんぼの保全に時代の変化を感じながら歩きました。
 
 桜も人も美しい刻だけに目を向けない。そんな心持ちで生きられたら。てくてくの一期一会に感謝して気持ちの良い1日を頂きました。

お知らせ ブログを移行してリニューアルしました

このブログは2004年4月18日から、ニフティ株式会社の@niftyココログサービスを利用して『東京の田舎暮らし-鶏といっしょ」の名称で作成してきたものを移行しました。

これまでの記事には現在行っていることと異なる内容、状況等も含まれます。仕事全般を常に新たに得た知識、アイデア、経験等で更新しているためです。ですので過去は記録として、情報につきましては最新の記事やブログ以外のページをご覧ください。その内容も常に更新される可能性があることをどうぞご理解くださいませ。

新たなWebページへとリニューアルするにあたり、作成当初の文章、表記等を整理編集しています。注釈や訂正をしている箇所もありますのでご了承ください。

ここから先は、新たなページのスタートです。

養鶏ページ全体の始動とともに新たな記事がスタートする予定です。

鶏日記 冬の朝

この季節、産卵箱を転がってくる生みたての卵は “ほわ〜ん’’ と一瞬湯気に包まれます。

東京でも朝は零度を切る時があり、寒さの中、一瞬の光景にほんわかした気分になります。卵を包むクチクラの層が乾くまでのほんの5…10秒。

給餌の後の、観察の時間…
大人になりかけの若鶏が給水器をブランコにして遊ぶのんびりとした光景。来年は更に一歩前に進もう、と平和の幸せを噛み締めて思います。

コラム 雑穀の残る暮らし

2月16日に西荻窪のかがやき亭でお話しさせて戴いた「武蔵野うどんをとおして考える農と食卓」に資料を提供して下さったフィールド・ワーカー(民族植物学・人々と植物の関わり)、川上香さんの「雑穀の残る暮らし」というイベントに行ってきました。

東中野から徒歩5分程。Soleil(ソレイユ)というフレンチのお店で、雑穀を使ったランチを戴きながらお話を伺いました。

長野県遠山郷(旧上村、旧南信濃村)、静岡県静岡市葵区井川(旧井川村、旧田代村)、山梨県早川町を中心とした雑穀の残る暮らしです。昔、我が家でも雑穀を栽培。両親は「こどもの頃、雑穀の入った弁当を持って学校に行くと、もう周りは白米で恥ずかしい思いをした」と言います。第二次世界大戦中から戦後間もなくまで食べていた雑穀飯はおおよそ大麦とモロコシの入ったものだったそうです。
武蔵野うどんの際に昔の食事を聞き取りました。

武蔵野台地は河川周辺などの一部を除いて稲作に適さず、穀物は麦を栽培していました。物日(行事のある日)にはうどんを打って食べる習慣がありましたが、粉を挽いてうどんを作るには時間と手間がかかります。ですので日常は雑穀飯を食べていました。雑穀はコメや麦と違い、穂のままで保存すると何十年でも持つと川上さんは言います。麦も採れない天候不良の時には命綱だったはずです。

いまは健康にもよいと人気の雑穀。ランチもとても美味くいただきました。「モロコシの餅なんて冷めたらとてもじゃないが不味くて食べられない」。父世代には貧乏のイメージで語られます。平地で農業をする者にはまねの出来ない自然と向きあうその暮らしに、生きることの厳しさとタフさ、そして精神の強さを感じました。

川上さんのブログ
Cafe穀雨 農と食と人のこと

お知らせ 地域の大人塾「武蔵野うどんをとおして考える農と食卓」でお話します

西荻窪「かがやき亭」で、すぎなみ大人塾卒業生「農と食チーム」の企画「地域の大人塾 武蔵野うどんをとおして考える農と食卓」でお話をさせていただくことになりました。以下、ご案内です。

地域の大人塾「武蔵野うどんをとおして考える農と食卓」

すぎなみ大人塾で農と食を考える卒業生の有志が開催します。
ユネスコ無形文化遺産に登録された「和食」。武蔵野うどんと精進揚げなど、かつての物日の食事を再現。試食し、語らいましょう。

ー 内容 ー

写真や資料をお見せしながら、講義、話し合い、試食をします。
1.「和食」ってなに? 武蔵野うどんと暮らし
2.武蔵野うどんを試食
3.農業と流通システムの変遷と生産物の変化
4.私たちが環境と自分自身の為にどう「食べる」べきなのかを考え、話し合い、導き出すきっかけを作るワークショップを開催
5.我が家の農業システム 自然循環型農法について

日時 平成26年2月16日(日) 午前11時30分~14時00分
場所 かがやき亭 東京都杉並区西荻北4丁目4-4
電話 03-5303-5085
定員 23名
講師 窪田幸子(杉並区・グリーングラス窪田農場)
参加費 800円
申込先 農と食のチーム(すぎなみ大人塾12卒業生)
担当・高田 電話 090-9203-1568
問合せ 社会教育センター 電話 03-3317-6621

* すぎなみ大人塾とは、杉並区教育委員会が生涯学習「自分を振り返り、社会とのつながりを見つける大人の放課後」として運営する場です。
* 物日(ものび)とは、祝い事や祭りなど特別のことが行われる年中行事として定められた日(大辞林 第三版)

ー 詳細 ー

食を巡る環境が大きく変化しようとしています。
TPPによって自由貿易が加速される前の現時点でさえ、毎日食べているものがどこでどうやって作られて来たものなのか把握できていないというのが実感です。

「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。無形文化遺産への登録に「顕著な普遍的な価値」は求められない。重視されるのはその文化を支えるコミュニティー(共同体)だということです。食は文化だということです。

日本に於いて実際は厳しい状況におかれている「和食」。その理由はさまざまあるとしても、この変化の中でも「食」というのは単なる食料だろうか?という問いかけが人々の意識の中にあるように思えます。食べやすいように作りやすいように日々研究が積み重ねられていく現場とは別に、どうして価格や生産性、利便性だけで食を考えてはいけないのか。厳しい時代の生活との迫間に、漠然とした想いを持たれる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

この講座ではかつての武蔵野周辺の村のコミュニティーと食文化の一部を体感したいと思います。この土地、この地方の気候、風土、いまの季節に環境に負荷をかけずに食べられる食事です。そしてその文化がなぜそのように形成され、そこから現代までどのように生産と流通と人々の意識が変化したのかを現場の視点でお話します。

私は環境と自分自身の為にどう食べるべきなのかを真剣に考えなければならない時代だと考えています。皆様にとっての食のあるべき姿を導き出す契機としていただけたらと願っております。(窪田幸子)

新年おめでとうございます

昨年中は大変お世話になりました。

特に年末、卵がご要望に足りず、ご迷惑をおかけ致しました。出来るかぎりお答えできるよう努めてまいります。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

新年は4日より、午前中10時-12時、卵を販売します。野菜は10日過ぎを予定しています。(現在の営業時間は異なります。ご注意ください)

鶏日記 新しい試み

いそがしさを理由にパソコンに向って言葉を推敲することから逃げて、ずっと更新を怠っていました。まめにブログを真面目に書くことは結構大変なことではありませんか?パソコンに向かう頃には感動は逃げてしまうのです。

スマートフォンにはできるかぎり替えないと決めていたのに朝起きたら突然、携帯電話が壊れており、あっさり誘惑に負けてしまいました。 経済観念からすれば、さまざまな利点を考えても(今の私には)贅沢感はいなめません。だからこそ文明の利器にコントロールされることなく意義ある使い方はなにか模索中です。もしかしたらパソコンより、思いついた時に文章を書くよい道具かもしれないと気付き、暫くぶりにブログ更新します。

この頃つくづく思うことは、20年近く養鶏をやってきても、気づかなかったことが沢山あるということです。なぜこんなことに気づかなかったのだろう?今年はよくそう思います。思い込みの怖さと意識次第なのかもしれません。

秋雛がやって来て16日。雛は初生(生まれて1日のまだお腹に黄身が栄養として残っている状態)から育てます。本来、親鳥の羽の下で守られるはずが、いません。孵卵場から連れて来て初めて目をあわせると、最初は親代わりくらいには感じてくれるようです。ですが親鳥とは違い、ずっと一緒にいてあげられるわけではないので次第に独立心旺盛になっていきます。寂しいとともに少し可哀想にも感じます。

育雛(雛を育てること)は最初の1週間に事故が起こりやすく、年に2回(2013年9月時点、現在は年3回)の育雛は一つの山場です。試行錯誤を繰り返し考えたのですが、そこは贅沢に床暖房の上で育てます。小羽数なので現段階では専用施設を作るほうが割高なのです。

そして天気を見て10日目。次の難関。外の空気に触れさせます。前回、春の育雛でこの時事故が起こりました。風上の成鶏の鶏舎からの埃が原因か、もしくは育雛に使った敷料になんらかの菌があったかもしれません。失敗を反省に風上からの埃と蚊よけをします。ずっと以前、目を蚊にさされて失明したこともあったからです。ただし囲い過ぎても蒸れたり、空気の流通が悪くなってしまいます。9月の育雛は台風と秋雨にも注意が必要です。

外に出ると寝る場所はヒヨコ電球の点いたダンボールの中です。最初の2,3日、夕方暗くなりかけにダンボールに入れてあげれば自然に寝場所を覚えます。なのに3日経っても入りません。入り口をわかりやすい方向に向けなかったのがいけなかったのか?今年の雛は賢くないのか?と考えていました。
ところが寒気の来た夕方、いつになくぴーぴー鳴きながら、自分達でダンボールに入って行きました。何回教えても覚えないのに呆れて、昨日から勝手にさせていたのです。雛は廃温(一ヶ月経って体温維持ができるようになり、保温が不要になること)まで暖めますが、自分で選べるようにしておくとよほど寒くない限り、昼間は外に居て、夜も寒くなければ勝手に出てきてしまいます。寒そうにしていれば危険ですが、人間のコントロールは適度に。本来の能力をひきだすこと、そう感じる毎日です。

お知らせ 今年も「極鮮TOKYO 第7回東京発!物産・逸品見本市」 に参加します

東京の食を極める!
第7回東京発!物産・逸品見本市 に参加します。

5月16日(木) 11:00~13:00

新宿駅西口広場イベントコーナーで開かれる物産・逸品見本市の農産物タイムサービスコーナー・プチマルシェに
野菜(未定)
地粉(農林61号・中力粉)
後藤もみじ卵
東京烏骨鶏卵

を出品予定です。直売所は当日も営業しています。
会場の中のコーナーの場所がわかりづらく迷われるようです。迷われたらブルーの半被の係りの方に伺ってみてください。出展企業のブースではなくてタイムサービスコーナーです。
会場でお待ちしております。